2005-11-01 第163回国会 衆議院 本会議 第13号
以来二度の落選を経て二十五年にわたり国政に参画できましたのも、ひとえに私を育んでいただいた郷土広島の皆様の温かい御支援と、諸先輩、同僚議員各位の御指導、御鞭撻の賜物であります。また、今日まで一番身近に支えていただいた後援会や家族、親族や友人、事務所の諸君の厳しい最前線で流した汗と涙の積み重ねのおかげでございます。
以来二度の落選を経て二十五年にわたり国政に参画できましたのも、ひとえに私を育んでいただいた郷土広島の皆様の温かい御支援と、諸先輩、同僚議員各位の御指導、御鞭撻の賜物であります。また、今日まで一番身近に支えていただいた後援会や家族、親族や友人、事務所の諸君の厳しい最前線で流した汗と涙の積み重ねのおかげでございます。
特に私の郷土広島県は大変厳しい状況にありまして、先回のこの文教・科学委員会でもいろいろと先生方から御指摘を受けたわけでございまして、私も実は穴があったら入りたいような気がしたわけでもございます。
また、特にこの委員会で、きょうは、私広島の出身でございますけれども、我が郷土広島が生んだ大政治家であります亀井建設大臣に対して初質問をさせていただくということで、感謝と感激と緊張で身が打ち震えております。何とぞ大臣、温かい、そしてお慈悲のある御回答をいただければ大変ありがたいというふうに思います。
長年の宿願であった宮澤総理の誕生に、郷土広島は喜びと期待に大いに沸き返っております。私も総理と郷里を同じくする者としてまことに欣快にたえません。国民の期待に十分こたえるために、長い政治現場の豊富な経験を発揮されて責務を全うされますよう私も期待しております。 さて、総理は所信表明の中で、「何百年に一度という大きな変化が起こりつつある」と述べられました。
(拍手) そして、昭和二十七年十月、第二十五回衆議院議員総選挙が行なわれるや、あなたは、祖国の再建と郷土広島の復興のため努力したいとの決意を固め、激戦の広島県第一区から勇躍立候補し、みごと当選の栄を獲得されたのであります。